能登半島地震により亡くられた方々またそのご家族様へのお悔やみと被災された方々にお見舞い申し上げます

かなりの大きな地震後も度重なる余震または寒さの中、どれだけ被災された方々が悲しみの中に置かれているか…

私には計り知れることはありません。

今までの生活が一変してしまうことが毎日の生活で身近ではないからです。

ですが一昨年の台風で私の住んでいる所でもたびたびある水害でも

かなりひどい災害にあい長期間の断水にあいまいした

職場はめちゃめちゃになり

トイレは浄化槽のため酷いにおい

片づけに追われ、なおかつ仕事も進めなければいけない

片付けで泥まみれになっても手を洗い流すことさえできず

帰宅しても水が出ないため食事も作れない

トイレも流せないそんな状態でした。

床上浸水した同僚たちにはに、コンビニやスーパーで

飲み物、除菌シート食べ物など思いつく限りのあれば助かるであろうもの

など大量に届けたりしました。

行く道中は今まで見たこともない黄土色の泥の光景

車を乗り捨て徒歩で向かうも、道路にある見えない溝に足がはまり

両手に沢山の買い物袋を持ていた私は両手をいっぱい上にあげ荷物が汚れては

とパニックになりつつも泥だらけになりながら

心の中でそっか

一見そこまで深くなく浅い泥一面の様だが用心して行動しなければいけないんだと肝に銘じました。

また違う床上浸水された方には普段備蓄していた水を届けようも

地獄のような光景を目の当たりにしました

閑静な住宅街のはずが、

家から出されたとみられる大量の電化製品や畳、家具が山のように家の前に出されていました。

そしてその出された荷物の前でみな家族がもうどうにもできないという形で

沢山の方々が出ていられました。

応援に駆け付けた方々の車も道に駐車されており

届けるのは断念しましたが連絡をしたところ

助かるからぜひ頂きたいと応援に来ていた弟さんの車で来てくださいました。

彼は豪雨の中道路で自分の愛車がぷかぷかと浮いていたと言っていました。

彼は家を新築したばかりでした。

ある床上浸水した方は郵便局に行きたいがそこも災害にあい閉鎖されてどこに行けばいいんだろうと母親の薬も病院も行かなければと

途方に暮れていたため仕事を途中で抜け少し離れた郵便局ま連れていきました。

彼女も家を新築したばかりでの被災でした。

彼女は帰りの車の中でたびたび豪雨被害はあるけれどこれからこれを繰りかえすことになるかもしれないと、肩を落として言っていました。

また幼なじみが少し離れたところに一人暮らしをしていたため

あの夜中豪雨の中

避難した方がいいと思い何度も電話を掛けたのですが就寝中で

電話には中々出ずやっと電話がつながり

「遅くにごめんね。雨大丈夫?水出てない?酷いようだからすぐそばに住んでる娘の所行った方がいいんじゃない」と私が言うと

「今外出てきたけど何も異変はないし大丈夫だよ」と

しかし雨のひどさは普段と別物でその言葉に安心することはできませんでした

数十分後、寝ていた彼女は異変に気付き玄関を見るとみるみるうちに家の中に水が

入ってきたそうです。

外へ出ると彼女の首あたりまで水が来ておりバックを頭にのせ娘の所まで避難したそうです。

それを見ていた近所の方がマンホールのふたが開いてしまっているかもしれないから注意した方がいいと暗闇の中、大きな声で教えてくれた方がいたそうです。

今から20年前私も水害にあい車が水没したことがありました

一部の地域だけで他には被害が少なかったせいもあり当時のアルバイト先で水没

とからかわれるという目にもあいました。

水没するとクラクションが鳴りっぱなしになることもあり

そういった時はボンネットを開けクラクションのプラグを抜くと止まるというのも周りの方の助けで知ることもありました。

そんなことを自分が知ることになるとは日常生活では全く想像もつかないものです。

人というのは目の前で起きていることの大変さは

自分が経験してみないとわからないということです。

冒頭で私がお話しした被災され現地の皆さまの苦しみは計り知れないと・・・

ですがわたしは微力でも出来るだけの復興・支援継続に協力できたらと思っています。

本当に微力ですが…

きっと今は罹災・被災届やら火災保険、地震保険等やらなければいけない手続きに追われ

普段飲まれている薬も飲むこともできなかったりと

体も極限限界にきていると思います

 

ですが心を寄せて身を案じて微力ながらも一日も早い復興を祈っている者もいます。

一日も早い復興、安心して日常生活が送れますよう心よりお祈り申し上げます。